2021/03/17

心理学界の分断の歴史考(前半)

 この前の記事では、二資格一法案時代からの系譜によって現在の公認心理師関連団体の分断について考えてみました。しかし、そもそも何故「二資格」という分断が生じていたのかという問題、現在の分断が「医療心理師国家資格制度推進協議会」と「臨床心理職国家資格推進連絡協議会」の対立の流れを正当に汲んでいるのかという問題がありました。
 そこで今回は、歴史をもっとさかのぼって心理学界、臨床心理職の分断の歴史を考えてみます。

 参考とした文献は、丸山(2004)堀(2013)。後はどこかで聞きかじった出所がよく分からなくなった情報も足しています。上記ふたつの文献はリンク先からPDFで読めます。

前半:前「臨床心理士」の時代
1960年代~1980年代

第一次専門職化戦略(1960年代)
 
アメリカ心理学会による制度化・専門職化に倣い、日本での心理技術者の資格検討は1950年から応用心理学会の先導のもと始められ、その動きは日本教育心理学会、日本心理学会へと広まった。
 1963年には関連14団体を含めた「心理技術者資格設立準備会」が設立され、1967年には「心理技術者資格認定委員会」へと発展した。
 同時期の1964年に日本臨床心理学会が発足した。学術組織として大学の研究者も参加しているが、現任の心理職従事者を中心に構成されており、資格認定運動の中心となっていった。「認定委員会」が教育・知識基盤を、「臨床心理学会」が職能問題を主に受け持つ形でこの時期の資格化は検討が進められた。
 しかし、この時期の資格化は最終的に見送られることとなった。
その背景には、
 ①所轄庁の問題:領域横断vs医療限定
 ②医行為の問題:心理療法を医行為と区分vs心理療法は医行為に含める
 ③教育の問題:修士レベルvs現任者の多くが修士レベルを満たしていない
といった、厚生省(当時)・医師側の要求との対立があった。

 「認定委員会」は、将来的な国家資格化が最も望ましいとしながら、高い専門性・自律性を具現化した学会認定資格を発足させる戦略を提示するが、身分安定を求める医療心理職から反発される。
 当時の「臨床心理学会」は、児童相談所の判定員が多数を占めていたものの、彼らは公務員としての身分を有しており、身分安定のための資格化を重要視していなかった。そのため、その次に多数派となる医療心理職が「臨床心理学会」の立場を左右し、「認定委員会」に対する対立姿勢を強めていった。
 結果、「認定委員会」としても職域のニーズなしには動けないので、「臨床心理学会」からの資格案が提出されるまで、資格発足は凍結することとなった。

 この時期の対立軸は、心理団体とvs厚生省・医師団体という医療制度からの自律性をめぐる対外的対立軸があった。また、心理団体の中でも、高い専門性を目指すグループvs早期の身分安定を求めるグループという内部での対立軸が生まれていた。

専門性への自己批判と専門職組織の解体(1970年代)
 1960年代後半から、大学闘争(大学紛争)や精神病院(現在の「精神科病院」)の環境への批判などが絡み、精神医学界では改革の機運が高まった。
 この機運は「臨床心理学会」にも波及し、心理検査や心理療法のもつ抑圧性を告発し、自己批判による反専門職主義が起こった。資格化(専門化)に対する批判と資格化されない(身分安定がない)医療心理職の不満が合わさり、
学会の上層部に対する批判へと発展した。
 1971年には「臨床心理学会」では理事の不信任が決議され、「学会改革委員会」が組織される。改革委員会は臨床心理職の知識・技術・業務を自己批判的に捉え続け、専門職化の推進力となる事を否定した。
 こうした学会(改革委員会)の動きは、現場の臨床活動も批判したため、専門性に依拠して職務を遂行する心理職にとっては立場を危うくするものでもあり、結果として多くの現職者・研究者の学会離れを招くことになった(1970年に1,646人居た会員は、1975年には847人へと激減している)
。職能団体機能を担っていた学会の専門性批判と会員の離散は、臨床心理職の職能団体が不在となる状況を作った。

 一方、精神医療の方は、専門性の解体までは志向せず、患者のニーズ中心の専門性を確立していく形で拡大していった。その拡大の中で、厚生省と精神科医の主導の下(当事者団体不在のまま)医療心理職の制度化は進められることとなった。

 この時期は、学会内での現場を無視した徹底した専門性批判と、それについていけず離反した者というように、組織内で対立を維持できず分裂・離散という結果をたどった。

第二次専門職化戦略(1980年代)
 1981年、診療報酬上の臨床心理検査が「臨床心理・神経心理検査」として整理され、『
なお、臨床心理・神経心理検査は、医師が自ら検査及び結果処理を行なった場合のみ算定する。』との文言が加えられ、これまで心理職が心理検査を実施してきた実態があるにもかかわらず、制度上評価されないことが明文化された。また、STやMSW・PSWの資格法制化も教育年数等の面で厚生省との交渉が難航していることもあり、厚生省が教育年限や業務範囲について不十分な資格を制定することへの危惧が生まれてきた。
 1982年には、「臨床心理学会」を脱会した旧理事を中心に「日本心理臨床学会」が発足し、
医療心理職の立場変化を踏まえた上での資格問題解決の受け皿となった。
 心理臨床学会は高等教育機関の制度上の整備も視野に入れ、厚生省のみだけでなく文部省(当時)への働きかけを行ってゆく。
 また、医療に限らない横断的な国家資格の制定の困難から、公的団体による資格の権威の下で関連する専門性を発展させる目的から、財団法人としての資格認定機関の設立を計画する。この計画は、1988年に関連12団体の協賛を得て「日本臨床心理士資格認定協会」の設立、1990の財団法人化として実現された。
 法人化の際の管轄官庁は、当初考えていた厚生省ではなく文部省となった。臨床心理職の養成制度について、教育より業務を優先、これまでの慣習(高卒後3年程度)を踏襲しようとする厚生省の態度に対して、大学院の拡充と高度専門職業人の養成機能を目指す文部省とは利害の一致がみられた結果と言われる。

 資格認定協会は1988年に1,595名の「臨床心理士」を認定し、1989年には臨床心理士による職能団体「日本臨床心理士会」が発足する。
 教育、認定、職能の機能をそれぞれ「日本心理臨床学会」、「日本臨床心理士資格認定協会」、「日本臨床心理士会」が担う三位一体の臨床心理士団体の形が作られた。

 「臨床心理学会」から分離する形で「心理臨床学会」が起こり、専門性を認められない国家資格化を性急に求めず、法人認定資格の下に専門性を発展させる道を選んだ結果として「臨床心理士」という資格が生まれた形となる。
 こうした経緯から、「臨床心理学会」と「心理臨床学会」との間にわだかまりが生まれることともなった。

1960年代から1980年代の約30年のまとめ

 資格化の動機として、専門家としてのアイデンティティの確立を求める動きと、身分の安定を求める動きがあった。学術団体が中心となり資格化に取り組み、「臨床心理学会」を作り現場の臨床心理職を取り込んだ。
 しかし、高度な専門性を希求する執行部は、早期の資格化による身分保障を望む(主に医療現場の)現任者のニーズに十分に応えることはできなかった。こうした現任者グループの不満と反専門職主義グループによって、専門性を希求するグループは学会を追われることとなった。
 その後の学会を主導したのは反専門職主義グループであり、資格化を目指して発足した学会は資格化を否定する組織となった。こうした体制から、資格化による身分保障を求めるグループは離反することになった。
 臨床心理職団体が不在の間、臨床心理職の専門性は認められない形で医療体制は整備されていった。現場では、身分保障だけでなく専門性を維持しようとする動機が高まった。
 こうして、学会を追われた高度な専門性を希求するグループと現場の臨床心理職が再会することとなり、「心理臨床学会」を組織して新たな資格化を目指すこととなった。

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