2021/05/07

心理学界の分断の歴史考(後半)

 (前半)では1960年代~1980年代の流れを大まかに追いました。今回はその後半部分です。
 1990年代以降、「臨床心理士」がその勢力を拡大していきますが、国家資格をめぐっては他の団体も関わって議論が活発になされました。時系列に沿ってそれぞれの動きを記すのが大変なので、書き方を(前半)とは少し変えます。

「臨床心理士」をめぐる動き

スクールカウンセラー(SC)市場の獲得
 前半記事でも触れたが、「日本臨床心理士資格認定協会」は1990年に文部省(当時)管轄の財団法人となった。大学院改革や、学校現場のいじめや不登校の増加への対策としてのカウンセラー養成という点で利害の一致がみられたゆえと思われる。
 1994年には「スクールカウンセラー配置調査研究補助事業」として文部省が予算提出し、臨床心理士団体は全国的な臨床心理士派遣体制を整える方向で対応した。1995年に「スクールカウンセラー活用調査研究委託事業」が開始され、当初154校136名の派遣から2000年には2250校1935名派遣にまで拡大した。2001年からは「スクールカウンセラー活用事業補助」となり、臨床心理士はスクールカウンセラー市場を獲得していった。

 スクールカウンセラーとしての資格要件として

1)財団法人日本臨床心理士資格認定協会の認定に係る臨床心理士
2)精神科医
3)児童生徒の臨床心理に関して高度に専門的な知識及び経験を有し、学校教育法第1条に規定する大学の学長、副学長、教授、助教授又は講師(常勤に限る)の職にある者

とされ、2001年からは「スクールカウンセラーに準する者」として「心理臨床業務又は児童生徒を対象とした相談業務について一定の経験を有する者」について、都道府県・指定都市が選定し配置することも可能となるが、スクールカウンセラーの市場の多くを「臨床心理士」が占めることが続いた。

指定大学院制度の実施
 臨床心理資格の認定は、当初は現任者の書類審査から始まり、1992年からは心理系大学院修士課程修了者(心理学隣接諸科学専攻を含む)を受験資格の基本とする(学部卒後5年の実務経験者にも受験資格は与えられた)筆記・面接試験制度の導入が始まった。
 受験者数の増加に伴い、審査過程の円滑化と養成システムの改善を目指し、「臨床心理士資格認定協会」は、認定協会の指定を受けた大学院修了者を受験資格の基本とする「指定大学院制度」を1996年から開始した。
 スクールカウンセラーの需要の高まりを受けた文部省も、大学設置・学校法人審議会大学設置分科会にて
設置審査の抑制に関する例外措置に「スクールカウンセラー(臨床心理士等学校臨床心理に関する高度の知識,経験を有する専門家)」の養成に係るものを追加し、臨床心理士の養成機関の増加を支援した。1996年の制度開始時には20校に満たなかった指定大学院は急速に増え、10年後の2006年には160校近くにまでなった。

 指定大学院制度の当初の基準として

<第1種指定の場合>

①専攻課程の名称は、原則 として臨床心理学(心理学・行動(科)学を含む)、心理臨床学、発達臨床学、臨床教育学、のいずれかによる。
②担当教員は、「臨床心理士」 の資格取得者5名以上で、かつ専任教員は、3名以上とする。非常勤講師は、年単位で0.5名として換算できる。
③臨床心理実習を適切に行うことが可能な当該大学(院)付属心理・教育相談室、またはこれに準ずる施設を有すること。
④修士論文のテーマと内容は、臨床心理学に関するものであること。

<第2種指定の場合>

 ①専攻課程の名称は、人間科学、人間関係学、教育学、児童学、社会学、発達科学および健康科学のいずれかによる。
②担当教員は、 「臨床心理士」の資格取得者4名以上で、かつ専任教員は、2名以上とする。非常勤講師は、年単位で0.5名として換算できる。
③臨床心理実習を適切に行うことが可能な当該大学(院)付属心理・教育相談室、またはこれに準ずる施設を有すること。但し、「準ずる施設」 とは、当該大学に組織上直接編成されていない場合も考慮されることもある。
④修士論文のテーマと内容は、臨床心理学に関するものであること。

 とされており、大学院の担当教員配置やカリキュラムについての介入、心理学諸学会へ事前の相談なく性急に進めたこと等の批判の声が大学の心理学教員から挙がり、「日本臨床心理士資格認定協会の大学院指定制を考える会」が組織された

「臨床心理士」制度(特に指定大学院制度)をめぐる分断
 心理学は臨床心理学だけでなく様々な領域がある。大学としては無制限に教員を雇用することはできないので、「臨床心理士」有資格教員の配置が増えると、他の領域の心理学教員のポストが減るという事も起こる。十分な話し合いを経ないままの指定校制度導入は、臨床心理士(臨床心理学)とそれ以外の心理学の対立を強化したように思う。
 指定大学院制度によって分断が発生したというよりも、実験心理学と臨床心理学との間以前からにあった軋轢に楔を打ち込んだ形になったのではないか。

日本心理学界協議会
(→日本心理学諸学会連合)

「日本臨床心理士資格認定協会」との協議
 上述のように指定大学院制度の導入は心理学教員の間で大きな話題となった。そこで「日本心理学会」が世話役となり心理学関連学会へ呼びかけ、1996年12月に日本心理学界協議会が結成された。
 第1回協議会には30団体の代表者が参集し、日本臨床心理士資格認定協会の会頭と専務理事らも出席した。協議は「指定大学院制度」に絞って行われた。翌月の第2回協議会では、ワーキンググループをつくって、認定協会とさらに話し合うこととなった。
 ワーキンググループ(資格制度検討委員会)は1997年2月から翌年11月まで、十数回にわたる検討の末、以下のような中間的結論を出した。

 1)心理学界の大多数の賛同が得られ、また社会理解と信任を得ることができ、そして社会へ貢献できる心理学のしかるべき教育を受けた人たちに与える統一資格を目指す。この資格は、将来の国家資格へ向けての準備である。
 2)統一資格には、基礎資格(専門資格を取得するための必要条件、学卒レベル)、専門資格(専門職能資格、修士修了レベル)、高度(特別) 資格(高度の特定技能または高度の職能資格、博士修了レベル) に分けられる。
 3)基礎資格については、しかるべき心理学履修単位の認定と統一試験の実施、専門資格については、専門学会による取得単位の認定と統一試験、高度資格については、今後詳細に検討する。専門資格については、インターン(実習) を必要とする。
 4)これらの認定については、心理学界に認定機構をつくる。
 5)現行諸資格との関係については、今後慎重に検討する。

 1999年7月には、日本心理学界協議会を前身として「日本心理学諸学会連合」が結成された。資格問題については新たに「資格検討委員会」を組織し検討された。委員会では当初、学界協議会報告の統一資格案と国家資格化の矛盾のない調整の検討から始められ、厚生省関連の資格優先案複数官庁における資格の平行創設案統一自主資格の創設案の選択肢について検討されたが意見集約には至らなかった。
 1999年12月の理事会には、各所轄官庁の担当部局との意見交換を行い、方針が妥協を許す
程度に合致するなら国資格化に向けての具体的協議に入る、と報告されている。

 2001年5月には、国家資格化をすぐに求めないで心理学についての基礎資格をどう考えるかということの検討ワーキンググループが組織され検討が進んだ。既に「日本心理学会」が認定事業を行っている「認定心理士」資格との関係について議論され、「認定心理士」を日本心理学諸学会連合へ委譲する方向での両者の協議も進められた。
 2003年には、基礎資格のワーキンググループを発展的解散し、新たな「資格認定・検定委員会」が組織された。筆記試験によって心理学の基礎知識を認定する検定試験を先行して準備しつつ、日本心理学会へは「認定心理士」の日本心理学諸学会連合への委譲を求め、その上で認定試験と検定試験の位置づけについての議論がなされた。
 2008年に、『当面、日本心理学会の認定心理士を日心連の基礎資格として承認する旨の文言を認定証に記載し、そのことに対して一定の承認料を日心から日心連に支払うこととする』との合意が両団体でなされ、2009年には日本心理学諸学会連合が実施する「心理学検定」が開始された。

日本心理学諸学会連合の目指したもの
 そもそもの発端は「日本臨床心理士資格認定協会」が心理学界全体でのコンセンサスがないまま「指定大学院制度」を作り、カリキュラムや教員配置への介入への対応を求めてのことだった。ここで連合としては、資格認定協会との対立ではなく、心理学界全体の合意に基づく統一資格の創設という方向性を志向していたようだ。
 議論は性急な国家資格創設ではなく、心理学の基礎資格について移行してゆき、資格という形ではないにしろ、「心理学検定」という一つの形を作り上げた。
 心理学界のコンセンサスに基づく統一資格創設という当初のコンセプトがあったから、以前書いたように「医療心理師国家資格制度推進協議会」と「臨床心理職国家資格推進連絡協議会」の間を調整し、「公認心理師」創設へとつなぐことができたように思う。

厚生省(→厚生労働省)

精神科医療・精神保健福祉をめぐる動き
 1984年の「報徳会宇都宮病院事件」以降、日本の精神科医療・精神保健福祉は急速に変わった。国際法律家委員会や国際医療職専門員会などによる調査も行われ、国連人権委員会などでも日本における精神保健・精神科医療の現場での人権蹂躙が取り上げられるなど、日本政府に対する国際社会からの非難が強まり、変わらざるを得なかった。1988年、「精神衛生法」を改正する形で「精神保健法」が施行された。

臨床心理技術者業務資格制度検討会
 こうした精神科医療制度改革の中で、精神科ソーシャルワーカーや臨床心理技術者を精神科領域のチーム医療を担う専門職として国家資格を創設する動きもみられた。
 1988年には「日本臨床心理士資格認定協会」が資格認定を始めており、1990年には文部省を主務官庁として法人化していたために、厚生省は臨床心理士とは別の医療分野に特化した心理資格制度のために
臨床心理技術者業務資格制度検討会を設置した。

 1990年 臨床心理技術者業務資格制度検討会(3年間)
 1991年 
厚生科学研究精神保健研究事業「臨床心理技術者の業務と養成の研究」(4年間)
 1995年 厚生科学研究精神保健医療研究事業「精神科ソーシャルワーカー及び臨床心理技術者の業務及び国家資格化に関する研究
」(2年間)
 1997年 厚生科学研究精神保健医療研究事業「
臨床心理技術者の資格のあり方に関する研究」(3年間)
 2000年 
厚生科学研究精神保健医療研究事業「臨床心理技術者の資格のあり方に関する研究」(2年間)

※年表は 『臨床心理学研究編集員会 (2005) 心理の国家資格は何故できないか-10年の時代状況を振り返りつつ、日本臨床心理学会のかかわりを検証する- 臨床心理学研究 42(3). pp.60-72.』 中の宮脇氏の第40回臨床心理学会大会資料に基づく。
と足掛け10年以上の歳月を、臨床心理技術者の資格についての議論に費やしてきた。
これらの事業の最終まとめともなる最後の事業の報告書は一般社団法人日本臨床心理士会HPにアーカイブされている(
HOME▶お知らせ▶提言資料集国家資格関連情報)。

10年超の議論の結論としては
 1.臨床心理技術者の国家資格化は必要である
 2.その資格は医療・保健施設に関わる範囲に限定する
 3.名称は医療保健心理士とする
 4.医療・保健施設においては、臨床心理業務は、医師の指示によって行う
 5.医療保健心理士の国家資格試験受験資格案を提案する
の5項が示された。

ちなみに5つ目の受験資格案については
 学歴:大学(4年制)卒(所定の心理学諸科目を履修、単位取得する)
 専門課程修学:以下のいずれか
  ①大学院 臨床関連心理 修士課程修了
  ②指定された医療、保健関係施設における3年間の研修
 臨床実習:
上記課程修了後、さらに指定された医療、保健関係施設において1年間の実習
というような、受験資格を得るために7~8年かかる案が出されていた。

 1995年からの「精神科ソーシャルワーカー及び臨床心理技術者の業務及び国家資格化に関する研究」は、1993年の「精神保健法」の一部改正により「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」となった際に『精神保健におけるチーム医療を確立するため、精神科ソーシャルワーカー及び臨床心理技術者の国家資格制度の創設について検討するとともに、精神保健を担う職員の確保に努めること』と付帯決議もあり実施され、「精神保健福祉士法」は1997年に成立した。
 「精神保健福祉士法」の付帯決議には
『精神保健におけるチーム医療を確立するために、臨床心理技術者の国家資格制度の創設について検討すること』(衆議院)、『精神保健におけるチーム医療を確立するために、臨床心理技術者の国家資格制度の創設について検討を進め、速やかに結論を得ること』(参議院)が示され、臨床心理職の国家資格制度について引き続き要請されていた。

 上記のように一応の結論は報告されたものの、研究班会議の実情は「医療限定か横断的汎用性か」、「臨床心理業務は医行為か」、「医師の指示か指導か」の点で一致がみられたとは言い難いものだった。そのため形だけの報告はされたものの、この成果が国家資格化に直接つながることはなかった。
 この後、関係団体のロビー活動により、国会議員の中で作業部会や勉強会が立ち上がり、内閣提出法ではなく議員立法を目指した動きが見られるようになる。

厚生省(厚生労働省)の動き
 精神科医療の中での人権蹂躙問題に端を発し、国際社会の要請を受ける形で臨床心理技術者と精神科ソーシャルワーカーの資格化が検討された。精神保健福祉についての法改正も慌ただしく何度も行われ、その度に付帯決議に資格化について言及もされた。国家資格の問題は、心理職やソーシャルワーカー当事者だけの問題ではなく、国としての精神保健福祉制度の問題となっていた。
 こうした経緯から求められたのは、精神科医療チームの一員としての担い手としての臨床心理技術者であり、医療・保健施設において医師の指示の下に医行為を行う心理職資格の骨格ができあがった。
 既に認定が始められていた「臨床心理士」側は、専門職としての自律性と専門性を保持すべく、医行為性と医師の指示に対して強く反対し、また医療限定での資格が先に立法化されることでその他の領域での臨床心理業務に支障をきたす可能性からも反対した。

全国保健・医療・福祉心理職能協議会
(全心協)

現場の声を国家資格に
 上述した1990年に始まった「臨床心理技術者業務資格制度検討会」の心理職代表メンバーが中心になり、医療・保健・福祉の現場で働く臨床心理技術者の声を国家資格創設に直接反映させるための団体創設の動きがみられた。
 当時すでに「日本臨床心理士資格認定協会」による臨床心理士資格の認定が行われていたが、認定協会は文部省管轄の法人となっており、厚生省との関係は良好とは言えなかった。そのため、厚生省へ現場の声を届けられる状況ではなく、新たな職能団体を設立する方向へと向かった。
 厚生省の資格制度検討会の検討状況を伝えるための「国家資格を知る会」を組織し、全国行脚しながらニュースレターの発行などを行い、職能団体設立の準備が進められた。1993年、約100名のメンバーで「全国保健・医療・福祉心理職能協議会
」を設立。臨床心理技術者の国家資格化の検討することを国会の附帯決議に盛り込むように立法府に要望したり、行政に働きかけて、資格を検討する厚生科学研究班のメンバーに全心協からの代表を送ったりと活動を進めた。

医療心理職の資格化へ向けて他団体との協働
 2002年に
厚生科学研究精神保健医療研究事業「臨床心理技術者の資格のあり方に関する研究」の最終報告がなされるが、上述の通り内閣提出法には至らなかった。全心協はその後もロビー活動を続け、国家資格創設の要望書を他団体と連名で提出している。
 2003年には「日本精神科病院協会」が理事会で全心協の考えを支持し、バックアップを決議、2004年には傘下病院に全心協への入会を勧める通知を出し、全心協の会員数は560名を超えた。
 全心協と日精協の幹部らが会合を持ち、
国家資格創設を具体的に推進する団体を組織することを確認し、「医療心理師国家資格制度推進協議会」の設立を呼びかけ、2004年9月に推進協議会が設立された。

全心協のスタンス
 全心協の設立目的としては国家資格の設立と、その資格制度に現場で働く心理職の声を反映させることにあった。また、(前半)の記事でも述べたように、医療領域で働く心理職の身分・待遇は不安定であり、国家資格を求める声も切実であったと思われる。
 「臨床心理士」が「領域横断」、「医師との対等性」、「修士資格」の3つを強く主張したのに対し、全心協は基本スタンスを”医療保険領域における臨床心理業務は診療の一部を担うものであり医行為を含みうること、医療の安全性を守るためには医事法制に則ってその資質を担保する必要がある”としたことで、「日本精神科病院協会」等の医師団体からの支持を得ることができた。
 しかし、「臨床心理士及び医療心理師法案」という2資格1法案があがった時点において、国家資格を求める全心協と、2資格1法案へ反対を示す医師団体との間で利害の対立が起こり、「
医療心理師国家資格制度推進協議会」内部での調整が困難となった。

1990年代以降のまとめ

 今回の(後半)記事では、1990年代以降の各アクターの動きを概観した。
 「臨床心理士」は文部省のスクールカウンセラー制度と強く結びつき、非常勤ではあるが雇用を大きく拡大させた。また、大学設置基準の抑制例外に「スクールカウンセラーの養成に係るもの」が追加されたのも文部省との利害の一致があったためと考えられる。このことにより、大学・大学院での心理学専攻開設を増やす下地が作られた。
 一方、「臨床心理士」を養成するための指定大学院制度は心理学界全体でのコンセンサスを得られず、心理学界の統一資格を目指す動きを作り出すことにもなった。
 時をほぼ同じくして、日本の精神科医療・精神保健の惨憺たる実態が世界に知れ渡る事件が発覚し、国際社会の非難を受けて日本の精神保健福祉制度が変わらざるを得ない状況に立たされた。このため、精神科医療の担い手の一職種として厚生省主導で臨床心理技術者の資格制度の検討が本格的に実施されることになった。
 厚生省の検討会に参加した心理職から、国家資格制度に現場の声を反映させるための団体が立ち上がり、医療心理職の国家資格を求めるスタンスは、チーム医療の一員としての心理職を求める医師団体等に支持された。

日本公認心理師協会の認定資格制度についての私見③

  ① 、 ② ではわりと批判的な私見を述べました。 批判だけじゃなんかアレなんで、好意的な意見も述べてみようと思います。 コンピテンシーモデルに基づいてるよ 日本公認心理師協会HP「 公認心理師の生涯学習制度について 」の下の方に、「専門認定に関するQ&A」pdfへのリンクがあ...